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2013.02.08 (Fri)

なぜリルガミンは滅んだか -ウィザードリィ外伝Ⅲのダイナミズム-

またウィズ外伝Ⅲの全曲メドレーを聞いているんだけど,こりゃだめだ。
寺院で入れ歯,商店街地下でオークロードを延々狩ってた青春時代を思い出してひぎぃ!
あのころの無限のパワーは今どこに。

というわけで,前回に懲りずにまたウィザードリィ外伝Ⅲのストーリーについて語ります。
まだ言い足りないのかよ! と思われるかもしれませんが,
脳内からパッションが溢れでてんほぉ! しちゃんだよこれが。
なお,前回以上に人を選ぶ内容です。



このゲームでは本家ウィザードリィの舞台であったリルガミンが滅んでおり,
その上に再建された城塞都市ダリアを主軸に物語が進んでいきます。
そのため,一部のプレイヤーからは「なぜリルガミンを滅ぼしたんだ!」
という批判があったことはこの前も述べたとおりです。

なぜアガン・ウコーツによって滅ぼされた都市がリルガミンでなければなかったのか。
そこに必然性がないと感じる,あるいは必然性があろうがなかろうが
プレイヤーの魂の故郷であるリルガミンを壊さないでほしい・
思い出を汚さないでほしいというプレイヤーが一定数いたことは確かなようです。

しかし,滅んだ都市がリルガミンであったということには,
大きな意味があるように思えるのです。
なぜリルガミンを滅ぼす必要があったのか,今日はそのお話をしたいと思います。



まず,ウィザードリィ外伝Ⅲのストーリーの骨子は,以下のとおりです。

アガン・ウコーツの恋人ダリアが死ぬ→
カント寺院での蘇生が失敗する→
アガンが恋人を蘇らせるためデビルブックと契約して魔族を召喚する→
恋人は蘇ることなく死霊となり,召喚された魔族によってリルガミンは滅びる→
儀式の影響でアガンは遠い異国へ飛ばされる→
異国で王となったアガンがリルガミンの跡地へ攻め入り,城塞都市ダリアを建設→
魔族は,アガンが世界を取った後に自分らの王として迎え入れることで世界を征服しようとする→
魔族の企みに気づいた古い龍エル・ケブレスがアガンに黄金の仮面を被せ,活動を止める→
王の呪いを解いた者に褒章が与えられるとの噂を聞きつけて冒険者が城塞都市ダリアに集まる→
本編開始



ここで注目すべきは「カント寺院での蘇生が失敗した」ことです。
蘇生がうまくいっていればこんな物語にはならなかったのに,
などとやぼなことをいうつもりはありません。
問題はもっと深いところにあります。



ゲーム本編でカント寺院の跡地を探索すると,司祭の生き残りと出会います。
すると,彼らはこう言って襲い掛かってくるのです。

「私はこの寺院を守る最後の司祭です。
 寺院の秘密を探る者に死を与えましょう」

はたして寺院の秘密とはなんなのでしょうか?
司祭を倒し,探索を進める冒険者たちが発見するのが恋人ダリアの遺体です。
ということは,この遺体が寺院の秘密?
いったいどういうことなのでしょう。



ウィザードリィ世界には蘇生呪文が2つあります。
ディとカドルトです。
冒険者の遺体にディをかけると,蘇生するか灰になります。
灰になるともうディでは対応しきれず,カドルトを使うほかありません。
灰にかけたカドルトが失敗するとキャラクターはロストします…
ウィザードリィを象徴するイベントのひとつです。

ところが,カント寺院の跡地にあったのはダリアの「遺体」です。
カント寺院で蘇生の儀式を行ったのであれば,遺体のまま残っているのは奇妙です。
蘇生できなかったのであれば,灰になるかロストしていなければならないのですから。

遺体が遺体のまま残っている,これはすなわち
当時のカント寺院にはディやカドルトを使うことのできる司祭がいなかった
ということを示すのではないでしょうか。

末法のリルガミンにおいてすでに寺院は信仰を失っていた,
そしてそれがリルガミン崩壊の遠因となった

いや,ともすれば,信仰の凋落それ自体がリルガミン崩壊の原因であった。

これこそが寺院の秘密,ダリアの遺体こそがその動かぬ証拠というわけです。
自らの権威の失墜を恐れ,すでにリルガミンが滅んだあとも
絶えることなくダリアの遺体を隠し続けてきた司祭の姿には,
滑稽を通り越して虚しさをすら覚えるほどです。

なお,リルガミン末期の信仰の凋落については,ドラゴンゾンビ=エル・ケブレスの
「この国の民は信仰心も薄れ,神は神でなくなった」という話からも伺い知ることができます。
エル・ケブレスは「人間が神を裏切ったので」人間を滅ぼすと言っているのです。
この話からも分かるように,この作品では
信仰というテーマが非常に大きなウェイトを占めているようです。
 


もうひとつ注目すべきは,カント寺院において蘇生の儀式が失敗した後のアガンの行動です。
彼は魔族デビルブックと契約を結び,わざわざカント寺院において魔族召喚の儀式を行いました。
ここに,アガンのカント寺院に対する抗議の意思を読み解くのは,
それほど突拍子のない話でもないと思います。

そして,魔族デビルブック。
なぜ,この魔族が本の形をとっているのか。



勘のよいお客さんはここまででもう気づかれたかもしれません。
(勘がよく,ウィザードリィに精通していて,かつ
 このブログを読んでいるお客さんがどれほどいるかは分かりませんが)
ウィザードリィ外伝Ⅲのストーリーが現実の宗教改革に基づいた宗教説話だということを。



もう一度世界史の授業を思い出してみましょう。
中世ヨーロッパ(リルガミン)においては,キリスト教に関する知識(僧侶呪文)は
特権階級であるところの司祭=教会(カント寺院)がほぼ独占していました。
一般市民(冒険者)にとってのキリスト教とは,
洗礼に始まる秘蹟(ささやき いのり えいしょう ねんじろ!)
がすべてといっても過言ではありません。
教会とそこで行われる秘蹟によって結び付けられた地域共同体,
これが中世ヨーロッパの姿でした。

しかし,これでは教会は共同体の中核である自らの宗教的権威と
市民の無知につけこんでやりたい放題です。
法外な手数料をとったり,蘇生に失敗しても知らん顔,
あまつさえ金がないと「この背教者め!」と寺院を叩き出されることもある始末。
このやり方に異議を唱え,秘蹟でなく聖書に基づいた信仰をこそ重視すべきだとして
新たな信仰を広めていったのが新教徒(プロテスタント)です。

教会の堕落に対する抗議として始まった宗教改革には,
地域共同体から個人へ,秘蹟から聖書へ,というダイナミックな動きがあったわけです。

となれば,カント寺院という地域共同体(カトリック)からはじき出され,
デビルブックという聖書を自らの拠りどころとした青年アガン・ウコーツは,
宗教改革の時代に生きた新教徒の象徴にほかなりません。

デビルブックが本の形をしているのはアガンが新教徒であることの証左であり,
デビルブックが魔族とされているのは,プロテスタントの教義が
旧来の教会勢力から危険視されたことの暗喩であり,
アガンが異国に飛ばされたくだりは,そのまま新教徒が迫害によって
国外追放ないしは自主的な亡命を図った経緯の現れである。
そしてアガンに被せられた仮面は光(=神)を遮るものですから,
苦難の中でアガンが一時的に信仰から遠のいた状態を示しているといえます。
いえるんだよ!



ところで,キリスト教宗教改革の初期の指導者の1人に,ジャン・カルヴァンという人がいます。
高校の世界史で出てきましたね。

この人の唱えた教義として,予定説というものが広く知れ渡っています。
曰く。



人間はみなロクデナシである。
神様はそんな人間のうち,いくらかは救ってくれるけど,いくらかは破滅させる。
誰を救い,誰を破滅させるかは,すべて神様の意思で決まるので,
善行を積んだとか能力があるとか教会にいくらお布施したとか,
本人が救いを求めているとかそんなの辞退したいとか,そういった事情とはまったく関係がない。



いやー見事な投げっぱなしジャーマンっぷり。
こんな話を聞かされたら,「救われる人間は鼻ほじってるだけでも救われて,
救われない人間はどんなに努力しても救われないなら,鼻でもほじってるわ」
と虚無的な考えに陥りそうなものです。
しかし,当時の新教徒たちはそうは考えませんでした。

もちろん,神様の考えは人間の計り知れるところではないので,
「社会的に有益な,成功した人間」ならば「救われる人間」であるとはいいきれない。
しかし,少なくとも「救われる人間」は「社会的に有益な,成功した人間」なのではないだろうか。
そう考えて,救われる人間となるための必要条件としての社会的な成功を目指し,
禁欲的に働いた…ということが書いてあるのがマックス・ヴェーバーの
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」なわけですが。



この文脈でウィザードリィ外伝Ⅲを俯瞰すると,物語の面白さはさらに増します。
というのも,アガンの人生は当時の新教徒指導者の人生,
あるいは新教徒の思い描くキリスト教徒の人生そのものだからです。

まず,恋人を失うという苦難に見舞われます。
そして,教会の堕落を糾弾し,迫害されて国から追放されます。
ついでにその国を滅ぼすという罪も負います。
そこで,他国で王となって失地回復のため戦いに明け暮れますが(禁欲的な職能への従事),
呪いの仮面を被せられ,旧作のファンからボコボコに叩かれ,冒険者に殺されます。
しかし,最後にはその罪を許され,救われます。

原罪から始まり,苦難の連打を経て,救いでフィニッシュするコンボは,
カルヴァン主義でいう聖徒の永遠堅持であり,予定説の中核をなす概念です。
(救いを定められた人間は,どんなにつらい目にあっても
 最後には救われる(のだから,信仰を捨てることなく頑張ろう)という考え)
つまり,この物語は宗教説話以外の何物でもないのです。



ですから,悪名高いトゥルーエンディングも,いま一度考察しなおす必要があります。
アガンとダリアが出会うことの意味はなんなのでしょうか。

これを単純に恋人たちの再会と見れば,なるほど
安っぽいラブストーリーという批判が出てくるのもやむを得ない話かもしれません。
しかし,アガンの苦しみは,死んだ恋人に何もしてやれなかった,
それどころかむしろ苦しめることになってしまったことへの,
そして祖国を滅ぼしてしまったことへの自責の念,罪の意識から生じるものです。
愛する人と再会したからといって解決するというものではありません。

そこでダリアはこれを「赦し」,アガンははじめて「救われ」ます。
このときダリアからアガンへ与えられたのは,
恋人同士の愛(エロス)ではなく,「赦し」という神の愛(アガペー)であるといえます。
アガンの罪を一手に引き受けてこれを赦す…
ダリアはキリストの役どころを担っているわけです。

トゥルーエンディングは,ダリアー会いたかったよーちゅっちゅっという,
60をすぎた老人の黄昏流星群的な性欲の発露を描きたかったわけではなく,
苦難に打ちひしがれた新教徒が神の奇跡を目の当たりにする…回心が完成した
宗教説話としてのクライマックスシーンだったのではないかと今に至って思うのです。

エンディング後,アガンには贖罪の人生が待っているものの,
(実は前回書いたのとは逆の説明になってしまいますが)
これはアガンにとってはご褒美タイムでしかないわけですね。
死後の救い=ダリアとの再会が確定しているのですから。
ここに,予定説の中に生きる新教徒としてのアガンが完成したのでした。



話が長くなりました。
ウィザードリィ外伝Ⅲでリルガミンを滅ぼした理由,
それは「中世(リルガミン)の終焉=ウィザードリィ世界の近代化」こそが
この作品のテーマであったから
だと思います。
中世ウィザードリィ世界の象徴であるリルガミンが滅びることにこそ,意味があったのです。

カント寺院というウィザードリィの中核にあるシステムをストーリーの核に据えることで
この物語がウィザードリィ世界でなければ成立しないことを十分に意識させつつも,
現実の宗教改革の流れをうまく絡めることで,その旧来の世界観を大きく転換する
今作の物語に説得力を持たせたのではないか,というのが私の理解です。

そうしてウィザードリィ世界の近代化を描く中に,
「新しいウィザードリィの世界を自分たちで作るぞ!」という
気鋭のプロデューサーの熱い思いを託したのではないか…。
そう感じられてなりません。



名作・良作まとめ @ ウィキのウィザードリィ外伝Ⅲの総評にはこうあります。

『外伝Iが和製ウィズの先駆者、外伝IIがそれまでの日本におけるウィザードリィの集大成とするならば、外伝IIIは和製ウィズに新たな血を取り入れた作品と言えるのではないだろうか? 』
と。

これはシステム面に限った話ではなく,ストーリーにおいても,
むしろストーリーにおいてこそ明確に打ち出されているように感じられます。



もちろんリルガミンへの強い思いを抱くプレイヤーを否定するわけではありませんし,
このゲーム自体も戦闘バランスがお世辞にもいいとはいえないのですが,
広大なマップと奥深いストーリーに恵まれたこの作品は,少なくとも
ゲームボーイの限界に挑戦した意欲作であったことは間違いないのではないでしょうか。

今からこの作品で遊ぶのは難しいかもしれませんが,当時を覚えているプレイヤーの方は
もう一度思い出してみると新たな発見があるかもしれません。





あースッキリした。

テーマ : レビュー・感想 - ジャンル : ゲーム

21:24  |  ウィザードリィ外伝Ⅲ  |  トラックバック(0)  |  コメント(10)

2012.10.30 (Tue)

ウィザードリィ外伝Ⅲ

涙腺崩壊するは…。




このブログを見ているようなオッサン連にはウィザードリィは説明不要と思いますが,
外伝シリーズはややマイナーなので一応補足を。

ウィザードリィ外伝シリーズは,ウィズが好きで好きで
頭がおかしくなってしまった日本人たちが集まって作った
純国産のウィザードリィ
です。

遊びにも本気で取り組んでしまうのが日本人の悪い癖で,
モンティ・パイソン的ブラックジョークの世界であったウィザードリィが
震えが走るほどのガチ中世ヨーロッパ世界に変貌を遂げてしまいました。
ジャパニーズのHENTAIパワーには頭が下がります。

システム的には,最も力があった(偏見)本家ウィズの
シナリオ#1,2,3,5あたりを基に洗練に洗練を重ねていて,
この手のゲームが好きなお友達にはたまらない出来になっております。



そんなシリーズの中で唯一手元にあるのが
ゲームボーイの外伝Ⅲなのですが,これがすごい。
25年に及ぶゲーマー生活の中でもトップ3には入るであろう
最強のフレーバーゲーです。
陰鬱なBGM,精緻なグラフィック,簡素でどことなく突き放した感のある文章が
組み合わさって,見事に物語の世界を現出させています。

狼と野盗の巣窟,人々は決して近づかない闇の領域,
あの中世ヨーロッパにおける「森」が,たしかにここに「ある」のです。
まあ,私は中世にもヨーロッパにも行ったことないんで確証はもてませんが。



中でも特筆すべきはやはりBGM。
延々探索を続けるプレイヤーにとっては
これが長きにわたる友となるわけですが,
ここの気合の入り具合がただごとではありません。

不安をかきたてる「墓場」,神経が研ぎ澄まされていく「寺院」,
盗賊の恐怖に怯えながら進む「商店街」,そして決戦を予感させる「城」…。
長く聞いてくるうちにプレイヤーのテンションが冒険者達と一致してくるのです。

朽ちた寺院に足を踏み入れるとなれば,
信仰とはほど遠い冒険者達も,旧き神の祟りを恐れずにいられないでしょう。
そこが,かつて壮麗を誇っていた場所ならば,なおさらです。
まるで彼らの心の機微が伝わってくるようです。



シナリオもなかなかのもの。
正直,「アレッ,ウィザードリィなのにこんなにストーリーあんの!?」
と驚かされました。

死別した恋人たち,魔族との契約,黄金の仮面,呪われた王の誕生…。
これらは単にバックボーンとしてではなく,実際に物語の中核に絡んできます。

呪われた王の解放に成功すれば莫大な財宝が授けられる,
との噂につられて集まってきた冒険者たちですが,
単に迷宮探索を進めるだけでは王を解放することはできません。
そもそも,王を縛っている仮面は,呪いの品ではないのです。
王の魂の救済に必要なのは何か,それは物語を
きちんと読み解かないと分からないようになっています。

逆に,財宝目当てではなく,魔族に支配されつつある王国を
救うために集まった冒険者を演じるのであれば,
魔族の王たらんとするアガン王を打ち倒し,その魂を滅ぼすことが目的になりますし,
(魂の滅ぼし方は,ウィズのプレイヤーならみんな知っているアレです)
それに沿ったエンディングも用意されています。

なんとマルチエンディングなのです。
ウィズのくせに。



最愛の恋人を何者かに殺されてしまった青年アガン・ウコーツ。
恋人の蘇生は困難を極め,寺院の司祭も首を横に振るばかり。
神に見放されたアガンは,代わって蘇生の力を持つ存在を求め,
禁断の法で魔族の召喚を行います。

しかし,彼が拠り所とした闇の聖典(デビルブック)は,
最愛の恋人を死霊へと変えたのみ。
その後も彼は魔族の召喚を繰り返しますが,
結局,蘇生の力を持った魔族は現れず,
彼自身は儀式の影響で遠い異国へ飛ばされ,
(おおっと テレポーター でも発動したのでしょう)
彼の祖国は召喚された魔族によって滅びます。

後年,別の国で王となったアガンは,贖罪のため
かつての祖国に巣くう魔族を打ち払い,そこに新たな国を建てます。

一方,人間たちの強さに手をこまねいたのか,魔族たちは一計を案じます。
かつての契約により,アガンの魂は魔族たちのものです。
そこで魔族は,彼に地上の覇権を握らせ,そのアガン自身を
魔族の王とすることで地上を手に入れようとしたのです。

これを危惧した旧き竜の神(直接の表記はないですが,
おそらくシナリオ#3に登場するエル・ケブレス)は,
アガンに黄金の仮面を被せ,その動きを止めます。

しかし,多大な褒賞につられて集まった冒険者たちによって
旧き竜の神(もはや力を失った屍体でしたが)は倒され,
仮面の呪い(=神の戒め)は解けてしまいます。

喜びもそこそこに,かつて自分が呼び出した魔族と決着をつけるべく,
朽ちた城へと攻め入るアガン王。
そこには,アガンを魔族の王へと作り変えようとする
強大な魔族たちが待っていたのでした。

冒険者たちが城へと駆けつけると,今まさに
魔族たちによる闇の戴冠式が始まろうとしていました(脳内補完)。
アガンは魔族の企みに気が付き,
そうなる前に自分を殺すよう,冒険者に頼みます。
死闘の末に残されたのはアガン王の骸。



彼を殺しただけでは彼の魂は魔族に囚われたままです。
ここにこの物語一流のミスリードがあります。

王を蝕む呪いの正体とは,エル・ケブレスによって付けられた黄金の仮面でも,
魔族との契約でもなく,死んだ恋人を蘇らせたいという彼自身の妄執なのです。
だから,宝珠の力で黄金の仮面を外しても,
魔族召喚の原因となった闇の聖典(デビルブック)を倒しても,
さらにはアガン王自身を倒しても物語が終わらないのです。
では,どうすれば彼の魂を解放できるのでしょう。



思案した冒険者たちがアガン王の骸を,
旧き寺院に安置されている彼の恋人の骸の元へと連れて行くと
なんと恋人の亡霊が語りかけてくるではないですか。

「あなたが私の元へ来るには早すぎるわ。
 滅びゆくこの祖国を復興してからでも遅くはないでしょう。
 私はいつまでも待ち続けるわ」

蘇るアガン王。
しかし,結局恋人は死んだままです。

死んだ人間は蘇らないという事実を事実として受け入れたことで,
彼の魂は彼自身の妄執から,魔族の契約から解き放たれたのでしょう。
あるいは,死んだ恋人が自分を待っていてくれたという
事実を知って安堵したからかもしれません。

その結果としてアガン王が蘇ったのは,愛の奇跡と呼ぶべきでしょうか。
それとも,アガン王にだけは贖罪の人生を歩ませることを定めた神の罰でしょうか。
人が蘇ることはないという現実に立ち向かった瞬間に現れたこの奇跡。
なんとも皮肉な,心にくい演出です。
めでたしめでたし。



どうしてアガン王が蘇ることができたのかは,この作品の最大の謎です。

もし愛の力で死者を蘇らせることができるとしたら,
カント寺院はいらんのじゃボケェ!
そもそも物語の発端となったアガン青年の恋人の死も,
彼の愛の力で解決できたはずです。

しかし,ウィザードリィ世界がそんな甘っちょろい世界でないことは,
訓練されたプレイヤー諸氏には自明でしょう。
アガン王が立ち直ったのは恋人の愛の力によるものでしょうが,
アガン王の蘇生は愛の力などという得体の知れないオカルトによって
なされたものでないことは間違いありません(心の貧しい人間の発言)。

かといって,すでに信仰が失われて久しいこの地で,
アガン王の復活が神の審判によってなされたとするのも,
やや説得力に欠ける展開です。

神によるものでも人によるものでもない,
となるともうひとつの仮説が浮上します。
魔によるもの,です。
意外や意外,デビルブックはアガン王との契約を
律儀に守ったのではないでしょうか。

アガン王は,死んだ恋人を蘇らせるため,
蘇生の力を持つ魔族を求めて召喚を行いました。
デビルブックは,その願いを叶えました。
つまり,死霊と化して地上をさまようことになった恋人自身が,
蘇生の力を持つ魔族になってしまったのではないか…。
こう考えると,真のエンディングの展開もすんなりと理解できます。

そして,神に見放された青年にとっては,禁断の魔術書こそが
自分に復活の奇跡をもたらした闇の聖典(Scripture of the Dark)であった…
-ただし,復活したのは恋人でなく自分だったけれども-
という意味で本作のサブタイトルとも合致するのではないかと思うのです。



なぜこの点についてここまで書くかというと,
ネット上ではこの作品について「陳腐なラブストーリーである」と
一刀両断している意見が散見していたからです。

むしろ逆ではないかというのが,私の考えです。
「末法の世においては,愛も神も無力である。
 奇跡をもたらすのは,もはや魔をおいてほかにない。
 しかし,その奇跡すらも,自分の一番叶えたい願いを叶えてくれるわけではない。
 結局,条理に反することをしても誰のためにもならない
という,シビアなウィザードリィ世界にふさわしい
救いのない結末が真のエンディングの意味なのではないかと思えるのです。

最後の瞬間に2人の心が通じ合うことができたのを
救いとするかどうかは,人によるとは思いますが…。

ただ,この後アガン王は贖罪に生涯を捧げることになるでしょうし,
彼の恋人ダリアは死霊のまま地上をさまようばかりです。
アガン王の蘇生は,当人らに幸せをもたらすわけではありません。

むしろ,もうひとつのエンディングのとおり,
アガン王を倒した上で彼の魂を消滅させてやったほうが
よほど彼にとっては気が楽というものでしょう。

しかし,真のエンディングでは,
アガン王に過去の過ちを直視させ,その償いをさせる道を選びます。
2人仲よく昇天エンディングなどというように安易な結末とせず,
登場人物にしっかりと責任を取らせています。

この点において,この物語は一部で言われるような
プロデューサーの自己満足や陳腐なラブストーリーなどでは
決してないと考えるのですが,いかがでしょうか。



一方で,なぜアガン王に贖罪の機会を
与えなければならないのか,という疑問もあります。
魔族を召喚し,祖国を滅ぼしたという過去からすれば
彼は死んで当然という見方もできるはずです。

にもかからわず,なぜ彼の心の闇を振り払い,更生させることが
真のエンディングの条件となっているのでしょうか。

そこには,ウィザードリィ世界における人間観,善悪観
というものが関わっているのではないかと思えてなりません。



この世界には,善人も悪人も存在します。
しかし,その境はきわめて些細で,流動的なものです。

極論すれば,それは,扉を開けて怪物に出くわしたとき
ヤアとあいさつして立ち去るか,そのまま襲いかかるかの違いでしかありません。
したがって,善人が悪人に,あるいはその逆に,
という流れは物語の中で幾度となく訪れます。

人間は善性と悪性とを等しく内包しており,
まったき善人,あるいはまったき悪人というものは存在せず,
人の善悪はその場その場の,ほんのささいな行動によって揺れ動く…
そんな深い人間考察がウィザードリィ世界の根底に横たわっているのです。

であるならば,アガン王をまったき悪人として葬ることは
この世界の人間観に沿うものといえるでしょうか。



アガンは魔族を召喚し,故郷を滅亡させました。
しかし,己の過ちを悔いて,新たな都市を建設し,
魔族の討伐に残りの生涯を捧げたこともまた事実です。

善悪の狭間を行き来するアガン王は,
間違いなくこのウィザードリィ世界の「人間」であり,
プレイヤーが操るキャラクターと同じ「冒険者」でしょう。

彼の遺体がイベントアイテムではなく,
冒険者たちの「仲間」として回収できるのは,
そのことを端的に物語っているのではないでしょうか。



冒険者は自由な存在です。
悪人だからといって処刑されることはありません。
たとえ迷宮の中で他の同業者を襲って身ぐるみを剥いでいても,です。

さらに,ロストするその瞬間まで,善性に立ち返り,あるいは悪に堕ち,
強敵に挑み,迷宮を制覇するチャンスが与えられています。
ならば,アガン王にもそのチャンスが与えられてもよいのではないか…。

「冒険者は自由な存在であり,無限のチャンスが与えられている。
 アガンもまたウィザードリィ世界の住人であり,冒険者である。
 したがって,アガンにも無限のチャンスが与えられなければならない」

真のエンディングがアガン王を「赦す」ことで迎えられるのは,
プロデューサーの分身であるアガン王が贔屓されているからではなく,
むしろほかの住人と同等に扱われているからこそ,
プレイヤー演じる冒険者と同じようにチャンスが
与えられるべきなのだという単純明快な論理の帰結である。
こういった解釈も成り立つのではないでしょうか。

元々は将来を嘱望された青年であったアガン王。
贖罪の決心をした老王は,この後
名君の名にふさわしい治世を行うに違いありません。



いやしかし,まさかウィザードリィで
登場人物の心情がメインテーマに据えられるとは。
こうして20年ぶりに思い起こし,書き連ねてみると改めて驚かされます。



余談ですが,このゲームの舞台,ダリア城は
かつて滅んだ王国の上に建っているのですが,
その滅んだ王国というのがなんと本家シナリオ#1のリルガミンなのです。

廃墟と化したボッタクル商会もといボルタック商会やカント寺院,
魔力を失って朽ちたニルダの杖,
かつては無敵の力を誇りながらも悠久の時の流れには勝てず
ついには死したるエル・ケブレスの成れの果てなどを見ると,
なんとも言えない気分になります。

この点について,本家シリーズに強い思い入れを抱く一部プレイヤーからは
プロデューサーのアガン・ウコーツ王(徳永剛氏)に対して
「わざわざリルガミンを滅ぼす必要はないだろ」と鋭い批判がなされています。
ストーリーに対する反感も,ここが原因になっているといっても過言ではないと思います。
坊主憎けりゃなんとやらという話です。

確かに,滅んだ都市がリルガミンである必要性はまったくありません。
むしろ,外伝Ⅲ単体で見れば非常によい物語なのに,
わざわざ旧来のファンの機嫌を損ねてもったいないことをしてるなあという印象です。

プロデューサーにしてみれば,ファンサービスの一環だったのかもしれません。
あるいは,版権等の関係上,こういった演出が限界だったのかもしれません。
しかし,彼は知らなかったのでしょう。
数十年の時を経て膨れ上がったWIZフリークという怨霊が
どれほどセンシティブで,強大で,恐ろしいものであるかを(不確定名:恐怖の存在)。

…というわけで,できることならそういった過去のしがらみをバッサリ切って,
色眼鏡をかけないでこのゲームはこのゲームであるとして遊ぶと,非常に楽しめます。
当時チビッコだった私はその辺の経緯をまったく知らなかったので,楽しく遊べました。



ところでウィズといえば敵が強いことで有名です。
このゲームも本家に負けず劣らず…いえ,本家以上に敵が強いです。
商店街あたりまではまあなんとかなるのですが,
南の洞窟の後半と山脈から急激に敵が強くなります。

まずは異様にタフで魔法が効かず,首を刎ねてくるジャイアントクラブと
石化ブレスをまき散らしながら無限増殖するブロブアイがお出迎えです。
それだけでももうお腹いっぱいですが,さらに階を進めれば,
マスタークラスの冒険者たち,
マイルフィックやデーモンロードなどの上位悪魔,
さらにはバンパイアロードなどの「いつもの連中」が…。

睡眠毒麻痺石化首刎ねエナジードレインにブレス,
そして呪文は使い放題,こちらの呪文は無効化し放題。
ティルトウェイトですら,そもそも10回に1回も通らないという,
出くわした瞬間に生まれてすいませんでしたと
ジャンピング土下座したくなるようなタフガイばかりです。

しかし,強力な武具はこういった連中しか持っていないので,
全滅覚悟で戦いを挑まないわけにはいきません。
はっきりいって,後半は毎回がボス戦です。
ああ,冒険者無情。



そして,隠しダンジョン「ドラゴンの洞窟」。
この存在は有名かもしれません,悪い意味で。

ここはその名のとおりドラゴンたちがうじゃうじゃと出てきます。
その1匹1匹が本編ラスボスの倍くらいのHPと攻撃力を持っており,
それが10匹とか15匹の大群で押し寄せてきます。
ここでは最強魔法ティルトウェイトも豆鉄砲に等しいです。

それ以前にドラゴンたちは当然ブレスを吐いてきます。
ここを訪れた当初のレベルでは,
1回でパーティ壊滅,2回で全滅です。
幼竜(ドラゴンパピー)が相手でもこのありさまです。



すでに涙で画面が見えませんが,探索でも反吐が出ます。
1階は全マスがダークゾーンでワープゾーンの嵐。
2階に至っては先に進める通路がありません。
なんと,戦闘中にマロールでランダムテレポートを選ぶか,
宝箱の罠のテレポーターをわざと発動させてうまいこと先に進むしかないのです。
このような仕様にしておきながら,
この階には少なくない数の石の壁が用意されていて…。
責任者出てこい!
ファック! ファック!!



失礼しました。
このあまりのマジキチぶりに当時はさじを投げてしまいましたが,
そういったゲームほど記憶に残るものです。
ついつい話が長くなってしましました。

では,このシリーズがまとめて3DSあたりに移植されることを祈りつつ,また次回。



ウィザードリィ外伝 IIIウィザードリィ外伝 III
(1993/09/25)
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テーマ : レビュー・感想 - ジャンル : ゲーム

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